はじめに

シニア期に入った犬や猫と暮らしていると、ふとした瞬間に「今のうちに何かできることはないだろうか」と考えることが増える。私自身、うちの犬がシニアと呼ばれる年齢に差しかかった頃から、そういう気持ちを何度も抱えてきた。まだ答えが出せているわけではない。今もときどき、あれで良かったのかと考え直すことがある。

この記事は、何かを解決するための手引きではない。同じように考え込んでいる人に向けて、私が実際に何を感じ、何を迷い、何を決めきれなかったかを、順番に書き残しておきたいと思う。急いで結論を出す必要はない。読みながら、自分のペースで考えてもらえたらと思う。

体験

あのときのこと

気づいたきっかけ

きっかけは、些細なことだった。いつも決まった時間に食べていたご飯を、少し残すようになった。散歩に出ても、以前より歩くスピードが落ちている。階段の上り下りで、一瞬ためらうような素振りを見せる。ひとつひとつは取るに足らないことだったが、それが重なっていくうちに、私の中で「あれ」という違和感が積み重なっていった。

最初のうち、私はそれを気のせいだということにした。暑さのせいかもしれない、単に気分の問題かもしれないと、自分に言い聞かせていた。うちの犬は昔から気まぐれなところがあったので、それだけで片づけてしまいたい気持ちもあった。忙しい毎日の中で、小さな変化にいちいち立ち止まっていたら身が持たないという感覚も、正直なところあったと思う。今振り返れば、あれは気づいていたのに、気づかないふりをしていた時間だったのだと思う。

ただ、しばらくすると、これまでとは違う種類の変化だと感じる場面が増えていった。呼びかけへの反応が一拍遅れる。以前なら気にも留めなかった段差で、動きが止まる。そういう細部の積み重ねが、単なる気まぐれとは違う何かを示しているように思えてきた。

そのときの気持ち・迷い

それでも、日を追うごとに、はっきりと「これはシニア期特有の変化なのかもしれない」と意識せざるを得なくなった。そのとき私の中にあったのは、二つの相反する気持ちだった。

一つは「まだ大丈夫、もう少し様子を見よう」という気持ち。もう一つは「もう考えないといけない時期に来ているのではないか」という気持ち。この二つが日替わりで、あるいは同じ日の中でも入れ替わり立ち替わり顔を出した。仕事から帰ってきて元気そうにしている姿を見ると前者が強くなり、夜中にぐったりしている様子を見ると後者が強くなる。そんな揺れをしばらく繰り返していた。

体験

私が考えたこと、迷ったこと

具体的に何を迷ったかというと、まずは通院の頻度だった。今までは体調を崩したときだけ動物病院に行っていたが、シニア期に入ってからは「定期的に診てもらったほうがいいのではないか」という考えが浮かぶようになった。ただ、通院の頻度を上げることが、うちの犬にとって本当に負担の少ない選択なのか、私には確信が持てなかった。通院自体がストレスになる面もあるだろうし、かといって様子見を続けることが正しいとも言い切れない。このあたりは自分だけで決めず、家族と何度も話し合いながら決めていった。

生活リズムの見直しも、同じように家族と相談しながら考えたことの一つだった。散歩の時間帯を変えるべきか、食事の内容を見直すべきか、寝る場所を今のままにしておいていいのか。どれも小さなことのようでいて、決めるとなると簡単ではなかった。誰かに「これが正解です」と言ってもらえたら楽だったかもしれないが、実際にはそんな明確な答えは、どこにもなかった。

結局のところ、私はいくつかのことを少しずつ試しながら、様子を見るという方法しか取れなかった。決めきれないまま、日々の中で微調整を重ねていく。そのやり方が良かったのかどうかは、今でもわからない。

今の私なら: 小さな変化に気づいたとき、それをメモや写真に残しておくと思う。記録があれば、気のせいかどうかを後から見返して判断できたかもしれない。ただ、当時の自分にそこまでの余裕があったかは分からない。

仕事や日々の用事に追われる中で、うちの犬のために使える時間には限りがあった。もっと時間を割けたら違う選択ができたのではないかと考えることもあったが、当時の自分にできる範囲というものも、確かにあったのだと思う。時間や余裕が十分にない中でどう向き合うかというのも、私にとっては大きな迷いの一つだった。

体験

今、振り返って思うこと

振り返ってみると、後悔していることはいくつかある。もっと早く気づけたのではないか、もっと違う選択肢を調べておけたのではないか。そう思う瞬間は、今でもふとしたときに訪れる。

一方で、それでも良かったと思えることもある。迷いながらでも、私なりにうちの犬と向き合う時間を積み重ねてきたという実感がある。完璧な選択ができたとは思わないが、何もしなかったわけでもない。後悔と、それでも良かったと思えること。この二つは、私の中で今も同時に存在している。どちらか一方だけが正しい感情だとは、私には思えない。

体験

もし今、同じ状況にいる人がいたら

もし今、私と同じように「今のうちに何かできることはないか」と考えている人がいたら、伝えたいことがある。それは、迷うこと自体を悪いことだと思わなくていい、ということだ。

私は当時、決めきれない自分をどこかで責めていた。でも今振り返ると、迷いながら考え続けること自体が、その子との時間を大切にしようとする姿勢の表れだったのではないかとも思う。もし今、通院のタイミングや生活の見直しについて迷っているなら、焦って結論を出す必要はないと思う。人によっては、様子を見ながら少しずつ決めていくやり方が合っていることもあるだろうし、早めに専門家に相談することで気持ちが落ち着く人もいるだろう。どちらが正しいというものではないと、私は感じている。

今の私なら: 気になる変化があった時点で、様子を見すぎずに早めに獣医に相談すると思う。相談したからといって何かが変わるとは限らないが、気のせいだと決めつけずに済んだかもしれない。ただ、当時の自分がその一歩を踏み出せたかは、今でも分からない。

もし、仕事や家庭の都合でなかなか時間を割けずにいるとしても、それを責める必要はないと思う。できる範囲でできることをする、というだけでも、その子にとっては意味のある時間になっているのではないかと、今の私は考えている。

おわりに

シニア期のペットと暮らす時間は、穏やかであると同時に、いろいろな迷いを抱える時間でもある。私自身、今もすべての答えを持っているわけではない。それでも、こうして当時のことを言葉にしてみることで、少しずつ自分の中で整理がついてきた部分もある。今も私は犬か猫のどちらかと暮らしていて、あのときの迷いを思い出しながら、日々の小さな変化に向き合っている。

もしこの記事を読んでいるあなたが、まだ何も決めていなくても、それは決しておかしなことではないと思う。もう少し先の話、たとえば長い時間が経ってからの気持ちの整理や、これからの選択について考えるときには、下記の記事も参考にしてもらえたら嬉しい。

一人で抱え込まないために

ここに書いたのは、あくまで私自身の体験に基づく一つの記録であり、医学的な診断や治療法を示すものではありません。 もし当てはまるようであれば、無理をせずに、下記のような窓口にも相談してみてください。

  • 動物の体調や医療的な疑問がある場合:かかりつけの獣医師、または地域の獣医師会
  • 強い落ち込みや不眠が続く場合:公認心理師・臨床心理士などによる専門のカウンセリング機関
  • 心身のつらさが強いと感じる場合:お住まいの自治体の精神保健福祉相談窓口など、公的な相談機関